内容について語っても「はつ恋」(http://www006.upp.so-net.ne.jp/koi/)のほうずっとが面白いのは仕方ないことで、「だからまあいいや」とか思っていたんですが、はてなダイアリーの「黒沢清」「アカルイミライ」でたどると、「熱狂的な黒沢清ファンと、それに対して引いてる熱狂的ファン以外の人」みたいな構図があり、僕としては「ああ、そういう感じなんだ」と驚くというか何と言うか「うーん」と思ってしまったわけで、何となく「まあ一応語ってみよう」と思い直しました。僕は「黒沢清最高!」とか思っているわけではないですが、かなり好きではあります。前置きなげー。
ネタバレっぽいんで、観てない人で観ようかなと思っている人は観てからと言うことで。
病院のシーンから始まる。主人公の「吉井豊」がそこのベッドから落ちるシーンから始まる。彼は14歳のとき、交通事故にあった。その影響で十年間眠っていた。それに対するフォローは、とりあえずはぼそぼそと喋る医師の説明と、ビデオテープのラベル。もうこの時点で「ほったらかし度」は高いわけです。そしてもうすでにグダグダっぽいんですが、まあ勘弁してください。
父の友人「藤森」が現れて吉井豊を引き取り、世話をすることになる。その十年の間に家族はバラバラになっている。藤森はどうやらゴミの不法投棄を生業にしている様子。そのままあらすじを語ると、豊は成り行きと「家族」を取り戻すためにポニー牧場を始める。いや、「再建する」か。そこら辺もあまり説明されない。「そう何かやってるうちに家族が帰ってくるといいな」と。
豊とその友人達は「失った十年」が無かったかのように接する。「十年」を意識しているのは「藤森」を含めた周りの人間達。
実際に家族は戻ってくる。妹と恋人の「加崎」。この加崎は自分のことを「目障り」と(言ってみれば「ゴミ」だと)ことあるごとに呟く。そうであるほうが楽だとも。父親は一瞬だけ帰ってくるが、またどこかに行ってしまう。母親が帰ってくる。そして、妹、加崎、母親、豊での生活が始まる。
藤森はその途中でゴミ不法投棄のことで逃亡しております。ここら辺、自分のグダグダさ加減を反省すべきところではあります。酩酊中。
「ほんの一瞬だけでも、家族が揃えばいい」
豊はそう呟く。
それは叶う。
テレビ画面の中の父親と、居間にいる妹と母親と豊、そんな形で。詳しくはやはり「はつ恋」(http://www006.upp.so-net.ne.jp/koi/)を見てください。豊はその中にいる「加崎」を見つめる。家族でない異物である加崎を。そのときの豊は、特に何の感情もなく加崎を見つめていたのだと、僕は思っています。ただ「加崎」は「異物」だと、そんな感情が少しはそこにあったのかも知れない。けれど、加崎はそれに反応して出て行く。妹がそれについていく。母親が出て行く。豊はそれをただ見送る。再び「家族」は無くなる。
なげー。何だかやっぱり僕は熱狂的な黒沢清ファンみたいです。
ポニー牧場はゴミになる。黒沢清は叶えてしまった夢はゴミだと、或いはすべては(或いは家族は)ゴミだと、そう言いたいのかも知れない。
藤森がトラックに乗って帰ってくる。荷台にゴミを積んでいる。そのトラックはポニー牧場の看板を踏み潰す。象徴的なシーンと見るならば、すべてはゴミだと、やはりそう言うことだろう。
ゴミを積み上げる。そして豊は、そのゴミに潰されて死ぬ。やはりそれも象徴的なシーンなのだと思う。
最後のシーン。一枚の写真で終わる。
クソくだらないゴミでも、その程度は残せた。或いはその程度しか残せなかった。
僕はそのどちらもなのだと思う。「家族って素晴らしい」ではない。確実に。
まあ総じて、黒沢清は特に何も考えずに映画を撮っているのだと思う。ある意味では、ベクトルがある分エド・ウッドのほうが遥かにマシとも言えるのだろうと。いや、エド・ウッドもよくは知らないんですが。それでも僕は黒沢清が好きで仕方がない。でもねー、別に高尚なものじゃないとは思う。わかりづらいと、ただそれだけのことで。