喫茶店で紅茶を頼んだら云々

 喫茶店は縦長で狭く、店の人間は二人しかいない。カウンターの中に初老のマスター。ジーンズにエプロンをした眠そうな顔のウェイトレス。朝の十一時という中途半端な時間のせいか、客も一人しかしない。昼時にはもう少し賑わってくるが、それでも流行っているとは言い難い。
「コーヒーを持っていく?」
 カウンターを挟んでぼそぼそと話す二人。ウェイトレスが小首を傾げている。
「そうそう。それで何か言われたら、『あっ、ごめんなさい。ほんとごめんなさい。すぐいれ直します』って、ちょっと大袈裟にね。話のきっかけに」
「いやそんな……、わざとらしい」
 ウェイトレスは苦笑して眉を寄せる。
 一人だけいる客は、入り口近くのテーブルで文庫本を開いている。五十代半ばだろうか、マスターと同世代の優しげな印象の男だった。ウェイトレスとマスターは店の奥にいて、有線が流れているからか、内緒話を続けている。
「いやいや、少しぐらいわざとらしいほうがいいんだって」
 そう言うマスターの目は明らかに面白がっていた。
「……それが話のきっかけで、そのあとは?」
 ウェイトレスがため息をつきながら聞く。
「そのあとはどうとでも。『そういえばいつも紅茶頼んでますね』とかさ」
「……『いつも紅茶ですね』」
 ウェイトレスは言ってから、やる気なさそうに促す。軽くシミュレーション。マスターも頷いて、それに乗る。
「『そうかな。いや、コーヒーでもかまわないんだけどね』」
「『へえ? じゃあ、どうしていつも紅茶を?』」
「『本当は君に会いに来てるんだよ』」
「……早っ! つうか引くわ!」
「『結婚しよう』」
「続けんな!」
 ウェイトレスは突っ込みのときだけはやる気に満ち溢れていた。笑うマスターを睨みつける。
「もういいですから、ちゃんと紅茶いれてくださいよ」
 へいへい、とマスターは用意していたカップに紅茶を注ぐ。
「まったくもう」
 ウェイトレスはカップを皿に載せ、それをトレイに載せる。ちらりと客のほうに目をやり、一つ深呼吸。変に意識してしまったのかもしれない。
 「笑顔笑顔」とマスターが茶化すように言う。「うるさい黙れ」とウェイトレスも無駄な緊張をほぐすように噛みついた。