虚構少女

 その少女は通常二人だった。
 同じ顔、同じ声、同じ姿形、そして同じ記憶。双子のようなものだと彼女は認識していた。その少し範囲の広いものだと。
 朝、七時過ぎに目覚ましが鳴る。一人が目覚ましを止めてから、のろのろと身体を起こす。もう一人はまだ眠っている。起きた一人は目をこすりながら台所へ。冷蔵庫を空け、食パンとマーガリンとカルピスを取り出す。寒くなってくるとお湯を沸かし紅茶を淹れたりするけれど、そうでない時期は大体カルピスだった。
 二人分のパンを焼いてマーガリンを塗り皿にのせ、好みの濃さのカルピスを作ったところで、もう一人が起きてくる。起きてこないときは起こしにいく。少女は二人だけで暮らしている。
 二人でざくざくとパンを齧り、カルピスの濃さに文句をつけることない平和な朝食を終え、それから一人は学校や遊びに出かけ、もう一人は留守番として家に残る。その役割は「どちらかがいつも」や「交代で」など決まったことではなく、例えば、「先にパンを食べ終えたほう」や「皿やグラスを片づけないほう」と、言わばそれぞれの気まぐれで決まることだった。
 日曜日や祝日、夏休みや冬休みなどのときは、二人とも家で過ごすことも多くあった。そうした日は、ゲームをしたり、本を読んだり、ネットをしたり……、けれども、二人で話し込むということはあまりしなかった。それは、少女としては独り言を言っているように感じられ、何か照れくさいものがあるらしかった。
 学校のある時期は、朝に一人を見送ったあと、残った一人は家の用事をする。皿を洗い、洗濯をして、掃除をして、洗濯物を干す。たまに部屋の模様替えをする。完璧な仕事をしているわけではないけれど、それでも、もう一人に文句を言われない程度にはこなす。ただ、毎日その途中で、一、二時間ほど記憶が飛び、少女としては訝しげな気持ち――これはきっと、わたしが「わたし達」であることと何か関係があるのだろう――を抱いていた。しかし、それに対して何かしらの行動を起こすことはなかった。どうすればいいのかわからない、ということもあったのだろう。
 学校に向かった一人は、その中でただの一生徒として過ごした。特に変わったことは起きず、起こさず、真面目に、そこそこ不真面目に授業を受け、休み時間には友達と雑談をする、どこにでもいる一女生徒として。部活は、とある文化部の半幽霊部員で、出たり出なかったりして、その学校生活を緩やかに楽しんでいた。
 家に帰ると、一人は、家に残ったもう一人に「ただいま」と告げ、もう一人も、帰ってきた一人に「おかえり」と返す。学校から帰ってきたほうの一人が、カルピスを二人分作り、そしてしばらく居間で休んでから、日が沈んだころに、二人で夕飯を作りはじめる。その間、特に会話をすることはなく、しかし険悪な雰囲気というわけでもなく、例えば、よく鼻歌などを歌い、一人が上のパート、もう一人が下のパートを担当し、お互いのパートに少しずつ引きずられながらも、そこそこ綺麗にハモった歌声を、誰に聞かせることなく響かせたりした。
 そのあとはゲームをしたり、読書をしたり、お風呂に入ったり、学校の宿題をしたり、ネットをしたり、そして飽きたら眠るという、何でもない日常を過ごしていた。
 少女にとっては日常のことで、しかし少女以外にとっては日常でないことの一つに、「朝出かけた一人が帰ってこない」ということがあった。その日は夕飯を一人分だけ作り、翌日、残った一人が学校へ向かうことになり、そこでまた特に変わりない日常を過ごす。そうして帰ってきたときに、「ただいま」と誰もいないはずの家の中に告げる。すると、「おかえり」と、自分と同じ声が返ってくる。居間に向かうと、自分と同じ顔がいて、学校から帰ってきた一人がカルピスを作ってくれるのを待ちわびている。
 同じ顔、同じ声、同じ姿形、そして同じ記憶を持つ「もう一人」。
 しかし、この「もう一人」が、今までいた「もう一人」とはまた別の、新しい「もう一人」であることを、「学校から帰ってきた一人」は理解している。
 それまでの「もう一人」がどこへいったのはわからない。帰ってこない「もう一人」の記憶は、いつも何かの途中で、ぷつりと途切れるのだ。授業を受けてノートを取っているときであったり、昼休みにお弁当を広げているときであったり、トイレに向かう途中の廊下であったり、学校帰りの道端であったり。そのあとでも教師や友達の反応は普段と変わりなく、少女は日常を続けるしか仕方がない気持ちになるのだった。
 日常を続けることには何の問題もなかった。例えば、冷蔵庫には常に食材が補充され続ける。いつの間にか、少女が気づかないうちに、減った分だけ増えている。他にも、公共料金の請求がきたことはないし、止められたこともない。携帯電話やネットの料金なども同じだった。
 少女はそうしたことに薄ら寒いものを感じなくもなかったが、しかし、実際に少女自身――わたしという存在――は消えておらず、生活に支障もきたしていないこともあり、やはり何の行動も起こさなかった。また、何か行動を起こすことで、もしかしたら自分を取り巻くこの世界が崩れてしまうのではないか、そんな恐れに近い気持ちを抱いていたりもした。
 さて、少女はあるとき、ネットで少し変わった物語を見つける。


http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20080723/1216810947


 “数えられる”ことができない女子高生の話だった。どこか自分と似た境遇であるように少女には感じられた。わたしは「わたし達」で、「わたし一人」ではない。この物語の彼女も、「一人ではないのかもしれない」というふうに描かれている。ある種の親近感とともに、少女はふとあることを思いつく。
 わたしが「わたし達」なのを誰かに話したことはない。誰かに相談するのには本能的な恐れがあった。しかし、ネットでならどうだろう。ネットのブログには虚実が入り乱れ、半信半疑のものとして捉えられることが多くある。さらに「物語」として、フィクションとして書いてしまえば、誰かに話すこと――相談ではなくなるのではないだろうか。それは現実に対して「行動を起こす」ことではない。ただ単に、架空の「物語」を書いただけのことだ。そして、もしかしたら、その「物語」を見た誰かが、わたしが「わたし達」である理由を、面白半分にでも推測してくれるかもしれない。
 少女は自分の思いつきに目を輝かせ、喜び勇んでキーボードを叩きはじめる。


 ――と、そこで少女の意識は途切れる。そして「宮野早苗」という、ある女子高生の意識に切り替わる。


 パソコンの前で突っ伏してうたた寝をしていた早苗は、ドア越しに呼びかけてくる母親に寝ぼけた声で返事をした。妙な夢を見ていた気がして、首を傾げながら思い出そうとするけれど、夢の気配は瞬く間に薄れていく。早苗は一つ欠伸を漏らし、とりあえず母親に呼ばれるまま、夕飯の席に向かった。