米澤穂信についてつらつらと。
物語で、脇役に惹かれる。それには自己投影があるかもしれない。というか、あるだろう。僕が米澤穂信を好きな理由ってのはそこら辺じゃないかなと。
米澤穂信は常に傍観者を描いていると思う。主役、探偵役であっても傍観者で、傍観者ありながら当事者になるべく手を伸ばしたりするけれど、やっぱり掴めなくてそれに対して「ああやっぱりな」とひどくあっさり諦めてしまったりする。
「絶望」ってのは当事者だけの特権じゃなくて、見てるだけの、「見てることしかできないポジションを与えられた人間」にもちゃんあって、でもそれは誰かに伝えられることではなく、飲み込んで、ただ苦笑したり、肩を竦めたり。
米澤穂信はそういうのを、ちゃんと知っている人なのだと思う。勝手に言ってますが。
米澤穂信への批判に「軽い」と言うものがある。「確かにね」とも思うけれど、個人的には、「米澤穂信は軽くあってほしい」と思う*1米澤穂信が書いているのは「ごく当たり前に転がっている絶望」であって、もちろんそれは他の作家も書いていることだけれど、米澤穂信ほど「軽く」は書いていない(重くしようとして軽くなっているのはまた別で)。それ自体を、苦笑したり肩を竦めたりすること自体を、米澤穂信はネガティブなものとしては捉えていないのだと思う。ほんと勝手に言ってます。
たぶん、米澤穂信自身も傍観者だったんじゃないかなと。勝手に言っ(ry そういう人がプロでやっていて、それなりに高い評価を受けているってことに、何となくではあるけれど、僕はすこし救われたような気分になる。のだろう。と。とある日記を読んでそんなことを思った。

*1:自分的に「さよなら妖精」「犬はどこだ」の評価が他のより低いのはそういう理由だろうと思う。